2016年08月02日
廃道ナイトin大阪
2012年03月02日
馬の一原隧道
熊野古道が世界遺産に選定されたその日に、たまたま和歌山を旅行していたんです。
んで、高野山や那智の滝を観光していたら、旅の先々にNHKが居るんですよ!何じゃこれ??
と思ってカーナビでテレビを見たら、世界遺産関連の生中継をしていたのを覚えています。
確か2004年だったかな?その旅先で、変わった名前と坑口だったので撮影した隧道を紹介。
「馬の一系」って地名じゃないよね??・・・とは言え、県外だったから調べぬまま現在に至る。
追記:「馬の一原」隧道でした。
場所は白浜空港を潜る所。上下線の別れた坑口を珍しく感じました。
今見直してみたら、ラブホの看板がw
内部も上下線を仕切られていて不思議な感じがします。
この真上が滑走路だから、強度の関係で真ん中に柱を通したのかな?
元英国王妃の故ダイアナさんが、こんな感じのトンネルで事故しましたね・・・。
この当時は、これが流行の工法だったのだろうか??計算してみたいけど面倒だw
フェンダーミラー車とも遭遇したし、タイムスリップしたような場所でした。
2011年12月05日
紀伊半島日記15 坂下隧道
地図でいう、坂下トンネルにやってきました。
まずは、市街地側坑口。
これがかの有名な・・・。しろさんの廃線隧道のHPで見て、いつか行きたかった場所!
次に、ダム側坑口。
市街地からこんなに近い場所にあるとは。
美しい・・・素晴らしい煉瓦。
明治44年8月(1911)竣工、延長333m、幅員2.5m、高さ4.6m
ダム側坑口では、特徴的な扁額とディンティルの美しき積み方に感動しました。
市街地側坑口では、雑草によって扁額などが確認できませんでしたが、
↑ このように、関係者の氏名が迫受石に刻まれています。これは右側。
(右端に「業者」とあり2名の名と外80名、中頃に「委員」と8名の名がある)
業者:** *綺庵?(会社名かも?)、土井 八郎兵衛、外 八拾名
委員:小川 正美、箸尾 吉三太、栗原 寛也、内山 鉄之助、明鹿 金次郎、高木 道之助、
世古 鐡太郎、植地 満太郎
※追記※
土井 八郎兵衛さんは、同姓同名の方が尾鷲におられます。縁者でしょうか?
また、内山 鉄之助さんと高木 道之助さんは索道や軌道を持っていたようです。
北山索道など会社名もでてきました。めちゃくちゃ感動しませんか?
左側の迫受け石にも刻まれています。 ↓
三重県を担当しているオブローダーは一人ずつ調べるべし!おろrry
(右端に「委員」とあり7名の名、「技術者」の後に3名の名がある)
委員:?太兵衛、村山?、田村、山本、村山?、大?、神 正芳
技術者:不明、不明、不明 (こっちの銘板は手ぶれが酷い・・・)
超有名物件ゆえ詳しいことは省きます。ググれば、官庁のサイトにも情報があります故。
現地では、谷あいの立地と雨の夕暮れが重なり、暗すぎて写真を多く撮れませんでした。
この後、一日目最終物件!そして旅のハイライトです。
林道を爆走・・・楽しくて死にそうだった。
この道の歴史っぽいのは、一日目の大トリ物件と合わせて紹介!・・・するかも?
2011年12月02日
紀伊半島日記14 山辺トンネル
ふう〜、怒涛の熊野古道煉瓦隧道群がやっと終わった・・・。
今回は訪問時の時系列を飛ばして、路線の並び順に紹介することにします。
ということで、山辺トンネルにやってきました。![]()
よととさん曰く・・・山辺トンネル周辺は、尾鷲インターチェンジのできる場所に
重なっているらしく、現在進行形で工事が行われているとのことです。
現地に着くと・・・本当だ・・・。素晴らしく工事中なトンネルですなぁ・・・。
全面通行止!立入禁止!通り抜けできません!更にゲート&シート!
(´゚ω゚):;*.:;ブッ
コラコラそこの俺、立入禁止じゃと書いておろうが・・・。
すいません。。四国からもう来れないので、こっそり覗かせてください・・・・・・
ハェ?
・・・・・・・・・・・・・( ; ロ)゚ ゚
なんじゃこりゃ!!
ものすごい壊している途中じゃ! あ、入っていませんよ、死ぬから。
カバーの隙間から覗いて見たらすんごいことになっていました。
数多く隧道を見て来たけど、明日にも解体終了しそうな場所は初かも知れぬ。
よととさん、ピカさん、変態な隧道を多数よくぞ揃えてくださった・・・。感謝。
山辺トンネルの変額、じゃない扁額。
山が旧字体!それと、妙なマークが付いている・・・?
このマーク・・・この日、通った坂場隧道にも同じものが付いていたことから、
ココが林道として開削された時に、事業的な何かの象徴だったのであろうとのこと。
そして、また俺が現場に入ってる・・・。まぁ、この日はお休みでしたのでご容赦を。
昭和34年竣工、延長67m、復員4m、高さ4.3m
昭和34年(1959)〜平成23年(2011)、52年間の共用でした。
2011年12月01日
紀伊半島日記13 尾鷲隧道
以前は現道から丸見えでしたが、いつのまにかフェンスができていました。
北側坑門。三重県、煉瓦造りまくりですな。
てん書体で尾鷲隧道と書いてある?扁額が付いていました。
中身が煤っぽく汚れているので、画像だと鉄道廃線に見えてしまうという罠。
路面に水道管埋設跡!しかし、この先で落橋しているので廃止物件だと思います。
これは電信施設の廃墟っぽい。
ガス灯用ボンベ庫。今は駐輪場。
風情のある隧道だったのでしょうね。ガス灯で照らされた様子を見てみたかった。
長い隧道でした。これだけの物を造りあげた熊野街道、案内してくれてありがとう!
大正5年(1916)竣工、延長481m、幅員3.2m、高さ4m
南側坑口と、扁額
こっちの扁額は読みやすい! ・・・かな?右書きです。
熊野煉瓦隧道には、石銘板があるのも素晴らしい。線刻のデザインが秀逸!
起工「明治四拾四年拾月」 竣工「大正五年四月」
県技師「岩井 藤太郎」&県技手「天野 久」、石工「勝田 六兵衛」
・・・この次どこだっけ?久しぶり過ぎて忘れそうです。(笑)
2011年11月30日
紀伊半島日記12 相賀隧道
関西の皆さん久しぶり!紀伊半島ツアーですよ・・・で・す・・よ。遅れて申し訳ありません。
なんかね、私の今までの地図は一個ずつズレているそうで死んでいました。![]()
↑ 今度こそ間違っていないはず。今までのは気が向いたら直しておきます。 直しておきました。
隧道の前に馬越橋が登場。新しい轍が、こんなに沢山ある廃橋も珍しい。(笑)
北側の坑口はコンクリで補強されていました。(昭和29年改修)
カーブの途中で坑口となっているせいで、坑口が扁平に大きくなっています。
こちらの扁額は読みやすい字体。コンクリに埋められなくて良かった。
洞内カーブと、全面の煉瓦巻きが美しい・・・。路面は昔コンクリとのこと。
大正6年(1917)竣工(T.5じゃないそうな)、延長82.2m、幅員3.2m、高さ4m
廃道なのに大賑わい!! この後、紀伊半島には台風の大災害があったし、
和歌山で5強の地震があったりしたから無事なのか心配です。
恒例の石銘板。 起工「大正弐年九月」 竣工「大正五年七月」
県技師「岩井 藤太郎」&県技手「天野 久」、石工「西村 市蔵」
この一個前にあった三浦隧道にて、解読できなかった石工も西村さんなのかな?
南側は煉瓦のまま無事。楯状迫石と読めない扁額が素晴らしい。
久しぶりに思い出しながら書いたら面白かった!
アルプ日記が紀伊半島穴ツアーを再開したら追従します! ・・・巻き込んでやった。
2011年07月01日
紀伊半島日記11 三浦隧道
そして遂に現れた廃隧道!! 北側から順番に紹介しているので、
ここからは、訪問した時系列とズレていますがご容赦くださいまし。
南側扁額 ↓ 大正6(1917)年竣工、延長315m、幅3.8m、高さ4.5m
楯状迫石を持つ煉瓦隧道は、この熊野街道が超有名です!
四国では徳島の橘隧道ただ1件のみですが、ここには掃いて捨てるほどある。
中身。 ・・・?なんだかものすごく綺麗なコンクリート路面&鉄骨+コンクリの補強が。
どうやら、直上にて紀勢道が建設されているようなので土圧対策か?
でも、前後の区間は無傷。有名なつっかえ棒も無事。
中心部だけ補強=火薬庫として利用 ←多分、こうしようとしているのでは?
徳島県の大用知隧道が、新線建設時に火薬庫化したのと同じ気配がします。
とりあえず、ガス庫は綺麗に残ってて感動できました。さすが廃隧道!ビバ廃道!!
そして、北側坑口付近に石板が二枚。
起工「大正四年六月」 竣工「大正六年三月」
県技師「岩井 藤太郎」&県技手「天野 久」コンビで、悔しいことに
石工の名を読み取れませんでした。日本の廃道を購読すれば解読してるかも。
北側扁額。こちら側の坑口前には、樹木が植えられており全体が見通せませんでした。
すぐそばを現国道の三船トンネルが通っているので、火薬庫を隠す処置と思われます。
あ、この隧道のそばに白看板がありました。これは別項を設けて紹介します。
しかし、なぜ現国道は「三船トンネル」なのでしょう?旧道&鉄道は「三浦隧道」なのに?
2011年06月29日
紀伊半島日記10 道瀬隧道
近代土木遺産Bクラス!登録有形文化財(建造物)。
熊野街道(現在の国道42号)改修事業で6個ほど建設された隧道。
大正4(1915)年、延長308m、幅員3.2m、高さ4m
この日、3つ目の煉瓦隧道!雨でピンぼけが多かったのは、旅疲れダレていたのかも?
持って帰った写真の大半がボケまくりのナナメまくりでした。。。雨天もあろうけど、無念也。
起工「大正参年弐月上旬」 竣工「大正四年七月下旬」
県技師「岩井 藤太郎」&県技手「天野 久」コンビは不朽のようですが、
石工が「松田 辻吉」さんじゃなくなって「中野 喬平?」さんになっていました。
坑口付近煉瓦、内部は素掘りと吹付け。ガス灯用のボンベ庫も残っています。
現在は、道瀬歩道トンネルとなっていました〜。 さあ、次!次からは廃隧道だ!
ヽ(`Д´)ノ アルプ日記、コメント欄復活しろ!
2011年06月28日
紀伊半島日記9 海野隧道
現道トンネルとの間に、車を停めます。
知らない人が見たら、何事かと思うような場所に大量の車!
当然、車が多いなら人も多いってことで。(笑)
隧道に人が群がっていて、かなり面白い光景でした。
大正3(1914)年、延長208m、幅員3.2m、高さ4.5m
近代土木遺産Bクラス&登録有形文化財
県技師「岩井 藤太郎」設計、県技手「天野 久」監督で、石工は「松田 辻吉」
内部は、煉瓦よりもコンクリート吹付け部分が多くなっています。
照明(ガス灯)用のボンベ庫は、改修されつつも形は残存していました。
北側の扁額は、テン書体で右から海野隧道とあるようです。
近代土木遺産Bランク!現在は、古里歩道トンネルになっていました。
ヽ(`Д´)ノ アルプ日記復活しろ!
2011年06月10日
紀伊半島日記8 長嶋隧道
県技師「岩井 藤太郎」、県技手「天野 久」の隧道シリーズ始まります。
今回のツアーで楽しみにしていた、熊野街道にある煉瓦隧道群へやってきました。
熊野街道一発目は、長嶋隧道。近代土木遺産Bクラス&登録有形文化財
明治44年(1911)、延長321m、幅員4.6m、高さ4.5m
↑ 石工 松田 辻吉 (一技術者として、辻吉の技術に感動した。)
↑ 南側扁額
↑ 北側扁額 南北で字体が違うのに明治を感じた。。。
道の歴史については、こちらを参考にしてください。
よととさんの車に乗せてもらって、案内して頂きました。
感謝感激、ありがとうございます〜。 しっかし、午後からも雨でしたね。。。
2011年05月16日
紀伊半島日記7 赤岩隧道
それは、思いがけない場所にありました。
赤岩隧道というもので、資料的なものは例のトンネルリストに載っている
「アカイワズイドウ 竣工年度不明 車通行不可」 …というこれだけ。
これだけで探し出したよととさんはエロい!!穴への情熱に感動しました。
川から山へ、山から海へとやって来ました。 しかし、雨があがらん・・・悲しいまでに。
赤岩隧道は、人道隧道だったせいもあるでしょうが資料的に乏しいようです。
場所も案内して頂かないと、見つけるのに苦労する大変な場所にありました。
港から、まるで材木工場の敷地内かと思うような場所を通ると現れました!
延長36m、高さ1.9m、幅1.8m。 辛うじて貫通?していました。
貫通してるよね? いやまぁ、本当によく見つけましたな。
隧道を抜けた先には、廃墟と河口があるだけで必要性が謎でしたが、
地元の漁師さんたちの、仕事用の通路となっていたのだろうと思います。
車を止めたすぐそばに、巨大なタイヤが落ちていました。
鉱山用タイヤショベルの巨大タイヤ・・・大型特殊免許が欲しくなるぜ!(?)
このタイヤの上で、銀玉鉄砲を見つけたピカさんに攻撃されて戦死させられました。
今度、彼が愛媛に来た時に手作りテルミットのIEDで反撃しようと思います。
2011年05月15日
紀伊半島日記6 棚橋隧道
棚橋隧道、棚橋トンネル、棚橋川、棚橋竈、棚橋だらけですな。
紀伊半島OFFで、もしかしなくても初めての道路隧道だ!川から山に来ました。
大紀町側。なんとまぁ・・・独特な形をしていました。堀割のコンクリ補強が半端なのも
独特な外観をみせる原因です。近代土木遺産C、石積みとコンクリートの造形。
コンクリ坑門が倒れるのを防ぐため、コンクリートの擁壁が継ぎ足されたようです。
今なら堀割にもできそうだけど、竣工した大正3年だと大工事だったのでしょう。
大正3年(1914)竣工、延長122.9m、幅員3.0m、有効高4.0m
南伊勢町側・・・後年の改修で路盤の掘り下げが行われたようです。
鍵穴のようになっています。掘り下げ前は馬蹄形だったんでしょうね。
ここは、隧道も面白かったけど・・・酷道が面白かった!
よととさんがぶっ飛ばしてくれるので、負けじとぶっ飛ばしていたら ヽ(゚∀゚)ノ タノシイ!!
あっという間につきました。(´・ω・`) ガードレールに貼られたオニギリも良かった!
2011年05月04日
紀伊半島日記3 深谷隧道
深谷隧道!時刻は朝8時!普段の日曜なら、まだ神様だって寝ているぜ!
容赦なく、怒涛の勢いで珍しい物が出てきます。熊野路は凄い。
アルプさんが一番好きなんじゃないか? ・・・疑惑の一枚。
案内してくれる関西勢よりも早く隧道に到達しています。
林道から、超頑張って ↑ こんな谷へ10数メートル下ってきたんだ・・・!
すると、なぜか隧道に彼女がいたんだ・・・。
そんな、恐ろしい物の片りんを見た後に扁額チェック。
右から、深谷隧道。大正時代〜昭和一桁の臭いがプンプンしていました。
※参考
深 http://www013.upp.so-net.ne.jp/santai/jpg/0519.jpg
谷 http://www013.upp.so-net.ne.jp/santai/jpg/0651.jpg
隧道は総コンクリート巻。型枠の跡が付いているから場所打コンクリートですな。
水路のコンクリ隧道は、古い物件が多いとはいえ納得の一品。
数十メートル進むと、ウォータースライダーになって終了していました。
この奥に大きなプールがあり、紀勢本線の向こうに吐水されています。
此処は、紀勢本線が造られた時に造成された隧道なのか?
それとも、ここから先が紀勢本線と共に増築されたのか?
そんなことより、今回集まったメンバーの手持ちライトが凄かった。
明るい照明の人が来たら、後ろから車が来たかと思って避けてしまう。(廃隧道でもw)
さぁ、次に行こう!次。 まだまだ長いよ〜!
2010年09月24日
お願いします!
http://yamaiga.jugem.jp/?day=20100924
↑ 私も参加したことのあるシリーズの本です!
マジで無くすには惜しい本。ニッチな趣味とは思いますが、
だからこそ、みんなの力で盛り上げていきましょう。。お願いします。
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