詳しい道中や宿はアルプ日記に任せるとして、私は巡ったブツを考察していきます。
一発目は橋梁です。隧道のように見えるのですが水路&橋、言うなれば水路隧道です。
しかし、何と言う線形でしょう。後年、水路を拡幅しているのですが、
水路隧道を壊さずに左側へ新しい堀切を設けていました。
隧道がもったいなかったのか?扁額まで付いて気合いの入った隧道なので、
取り壊すのは偲びなかったのか、それとも水利権でガッチガチにされていて、
触るにも触れない魔性の構造物となっているのか?三重県勢の調査待ちです。

この水路隧道には扁額が付いており、何と読むのか私のBBSで話題になりました。
そこで、右から「 姉 妹 水 」と書いてあるのが読めたので、よく覚えていた物件です。
更に、左側にも何か書いてあるな??と疑問だったので、訪問できて嬉しい限り!
さて、よととさんが綺麗に撮影した物を、アルプさんの通称レントゲンカメラで見てみましょう!

あわわあわわゎ・・・ 右の縦書き、明治45年壬子って書いてあるよ!?
左側は、一番下の文字が「題」なので人名が書かれているのでしょう。
※参考
明 http://www013.upp.so-net.ne.jp/santai/jpg/0916.jpg
治 http://www013.upp.so-net.ne.jp/santai/jpg/0405.jpg
年 http://www013.upp.so-net.ne.jp/santai/jpg/0771.jpg
参考にある左下の文字で間違いないでしょう。明治45年です!
「壬子」は胡散臭いままですが、明治45年はほぼ確定しました。
大変だー、てーへんだー! ・・・何が?という人に説明。
この隧道、総コンクリートなのです。明治に総コンクリート製の隧道とは凄い。
公に認知されている隧道で、最古は大正3年に出来た新潟県の円上寺隧道です。
この姉妹水が、明治45年だとしたら2年ほど日本記録更新ですよ!奥さん。
そして、記録が明治に突入する初めての物なのですオソロシヤ・・・。
朝6時40分 に来た甲斐があった。(笑)

↑ 早朝の光景です。しかも雨が降っています・・・
あ、扁額を見てて気が付いたんだけど、左側縦2列の文字周辺、
コケが綺麗にふき取られている。こんなことをするのはnagajisさんしか思いつかん。
nagajis先生の見解やいかに? たぶん、ORJで発表されるであろう。。。
※違っていました。多気町の郷土資料館の館員さんが動いているそうです。
(nagajisさん発、おろろんさん経由情報)

あと、明治45年の三重県知事は「馬淵 鋭太郎」というらしい。
題の上に書かれた人物かと探ってみましたが、文字数からして違うみたいです。
元々が水利権がらみだとしたら、この辺りの名士の名前かも知れませんね。
この調子で更新がんばれ〜
更新せんと・・・( ̄ー ̄)ニヤリ
紀伊オフをblogにするなら、'09大分オフと'07秋田オフも
blogにせねばならん。今年一年は、オフ記事で行こうかな?
そろそろ坂本隧道も記事にしたいのになぁ。
しかも な〜んかすごい発見してるし
「廃道をゆく3」買いに行ったけど本屋に無かったんよ 売り切れたんじゃろか?
Getするまで当分かかるけんね
∩
( ゚∀゚)彡 続けて続けて
⊂彡
おろろんさんです。nagajis先生も巻き込みましょう。
>>こうちゃんさん
アマゾン、密林なら廃道本も1〜3も手に入るよ!
>>あきらさん
お久しぶりです。何か、滋賀辺りで今年中にもう一回ありそうです。
その時は、一緒に遊んでください。ぜひぜひ。
認められたらいいですねぇ!